お疲れサーマント

黄巾族さん向けに書いています

汝、麻雀の門をくぐる屍

ひねもす夜もすがら、牌と時間を三途の川に投げ捨てて、私はこの世の真理に立直をかけました。

 

[東の手記]

麻雀の沼に陥ってしまいました。この「しまった」という表現は良くない意味で使っていて、まず私には麻雀やかけ事からは身を遠ざけようという決心がありました。

そうすることで、遠迂に身の潔白を信じていました。

 

つまり、私は「よい子」を演じるのが好きでした。

いい子を演じるには周囲の大人が望む子供像になりきるのが近道であったので、私の価値観はいわゆる社会的によいことで形成されていきました。

そのうえで、賭け事というものはダメ人間を製造する筆頭の悪であると信じて疑わなかったので、身を遠ざける決心には一分の隙も生まれませんでした。

しかし、その決心は美しく強い心の成長に資する決断ではありません。

こういう宙ぶらりんな決心は人のふりを見て安心するもので、自分は賭け事に熱中していない点でまともな人間である、と肯定するためのものでありました。

 

例えば少し会わない間に立派な雀士になっていた私の古い友人がいました。

彼は会うたびに前日はどれだけ勝ったとか負けたとかを楽しそうに喋っていましが、だんだんとパチンコにものめり込んでいきました。

彼の運の悪いところはビギナーズラックを引き当ててしまうところにあって、パチンコに初めて繰り出した一日の終わりにはすでに脳内快楽物質がドパドパ止まらない改造人間になっていたそうです。

その後どうなったかは想像に難くないと思います。

 

今、彼の身柄は賭け事の出来ない環境に置かれています。

毎朝6時に起床して22時に就寝する非常に規則正しい毎日を送っていて、それでも時折シンフォギアの音楽に魘される夜もあると聞きます。

 

賭け事に纏わるその顛末を見届けるたびに、自分は違うと胸を撫でおろすのでした。

 

 

[南の記憶]

麻雀への嫌悪は祖父への畏怖でした。

 

祖父の家は都会からは少し離れた山の中腹にあり、訪れるといつも煙草をふかしながら自室で麻雀のゲームをしていました。

初代PSの麻雀ゲームを何十年も、それこそ死ぬまでやっていた祖父は、正月に親戚同士で卓を囲むと焼き鳥を片手に鬼神のごとき強さを発揮していました。点棒はカルパスでした。

今思うと祖父の自室は神仙郷で、麻雀は修行のかたちだったのでしょう。

祖父はいつもゆったりとしたローブを羽織っていたし、頭髪も真っ白でした。

きっと神性な力の高まりによって風貌が変化していったのだろうと思います。

 

いまなら、いまなら分かりますが。

 

祖父を中心とした自然エネルギーの循環の一端には、人間には到底理解しえない恐ろしさがありました。

 

祖父はあらゆる賭け事に精通していて、娘の結婚式の途中に競馬場に向かうほどダメな大人でした。

しかし、良い人間だったのです。

この矛盾を解消するのずいぶんに時間を費やしました。

祖父への理解と同時に、畏怖が薄れていくのが分かりました。

 

少し、白髪が増えてきました。