お疲れサーマント

黄巾族さん向けに書いています

家を出るときに鍵を閉めたかどうか、ドアをがちゃがちゃして再確認する行為に名前をつけたい

遠い親戚にこれをするタイプが多くて、主に女性なんですけど。

 

大抵はせっかちなひとで、次に用心深い人に当てはまるとコロンビア大学の研究で明らかになっています。

 

ドアがたy-あn!

 

[超絶技巧ヘソピアス]

唐突な自分語りから失礼しやす。

 

大変失礼しやす。

 

私は暇な時に自分Aと自分Bで議論をさせて遊んでいたり、あらぬ妄想を繰り広げて時間をこなしているなんかしょうもない人間なんですけど。

 

頭の中でふわふわ象られている言いたいことの本質が、言葉に置き換えると2割も表現できないんです。

 

言葉自体がそもそも人間の心象を表現するのに十分でない、という指摘は置いておいて、とにかく今これを書いているのも自分のなかに浮かんだものをなるべく形にしておく練習なわけです。

 

まあ、上達してないと思いますけど。

 

そうなんです上達してないんすよ。

 

これには思うところがあって、先日大学が春先に開催できなかった健康診断を受けにいったことと関連があります。

 

身長が1cm縮み、体重が8000g増えていました。

 

これは春休みから今日に至るまで自堕落と飽食の限りを尽くした結果ですから目をそらさず受け止めるべき結果であります。

 

去年よりも1cm低い目線で受け入れるべき罰です。

 

しかしそれよりも、結果を受け取った時

 

私の上達しない文章の体たらくと輪郭の広がった体形の因果が結びついたのを見ました。

 

この唯物主義がますます加速する現代において非常に言いにくいことなんですが、体と思考の鋭さとには相関性があります。

 

どういうことかというと、今の私の言葉一つ一つには目には見えない脂肪の塊がくっついていて、これを燃焼させない限りはクリティカルで鋭い表現は生まれないということです。

 

言葉の巧さとはすなわち思考の鋭さと同義で、さらに研磨していくことが求められますから、余分な言葉と脂肪は削いで、細くして、鋭くしてようやく文章が上達する段階に達する筈です。

 

想像してほしいのはあらゆる知的職業に従事している人で、例えば明治大正期あたりの名を遺した文豪などは皆んな骨せんべいばっかりです、だけど谷崎は例外だから許してくれ。彼は俗っぽすぎるし、ほぼエロ小説家じゃないか。

 

同様の考えが「健康な知識は健康な肉体に宿る」的な古代ギリシャだかローマだかの哲学の言葉で、これも社会通俗的にある程度共通します。

 

ある程度というのは心向きの問題で、例えば大学でどの学部に通えば社会の役に立つか、に指標を持つ社会で生きていくことに感心がある人々一般、ということです。

 

より良い生活を実現する為の学問が尊いのであれば、それを修める人たちも恩恵を享受するための学問として学ぶわけですから、生活に必要最低限の健康な肉体が必要です。

 

この必要最低限、というのは言葉にするのが難しいですが、他人に一目見て受け入れてもらえない程度に健康な風貌ということでしょうか。

 

一方で社会の動きに無関心な人も一定数はいるはずです。

 

彼ら彼女らの筋肉は脂肪同然の余計なもので、繰り返す思考実験を心の心象に掠めるまでひたすら体を削っていった最後に骨せんべいだけの体になってしまったのです。

 

単純に、体の体積が小さくなると心が占める割合が大きくなるのかもしれません。

 

それとも心はあらゆるしがらみから逃げたがっていて、体と思考が小さく鋭くなるにしたがって動きが活発になるのかもしれません。

 

マッスル目指して、やったぜ💪