お疲れサーマント

黄巾族さん向けに書いています

読書の神髄をおみせしよう

憂鬱な日には読書をするに限る。

 

憂鬱はジャングルのような湿っぽい思考の檻を拵えて心を逃がすまいと待ち構えているので、私はそれ以上に難解な思考の迷路を先回りして用意してやるのでした。

 

なるべく難しい本を読むのが望ましいけれど、ニーチェでは難しすぎるし大衆小説では雑多すぎる。

 

この塩梅が私の心を悩ませ自家撞着に陥るのですが、最近自分なりの解を得ました。

 

心の病巣から目を背けるのには詩集を読むのが良くて、例えばあらゆる情景に思いを馳せる没入感は安らぎそのものです。

 

あと詩集持ってるだけで格好つきますからね。実際それあるていうか大分それ。

 

 

[シンジ君活動限界]

今日の私の憂鬱は右の奥歯から発せられるもので、だいたい三か月に一遍のペースで体の不調とともに歯肉炎になるのでした。

 

食べ物を噛むときに右奥に頼る癖がついているためでもあります。

 

とにかく朝起きた時からキリキリと不愉快な痛みが募るので、まずは手足をジタバタさせて痛みの所在を有耶無耶にしとうとしました。

 

一向に効果が現れなかったどころか、手足に力を込めるとき歯を食いしばってしまったので痛みは鼓動とともに膨れ上がってきます。

 

観念してシャワーを浴びるため跳ね起きると鏡には右頬が腫れあがった私が映っていたので、ひしと抱きしめてあげたい気がしました。

 

この不憫な男に食べやすいヨーグルトを!(桃の缶詰をつけてくれた)

 

ともすれば、やさしくホワイトニング歯磨きを与えたまえ!

 

 

 

どことなく空が暗く見えた、朝十時に本を三冊携えて家を出ました。

 

図書館か喫茶店のどちらか、読書に適した落ち着く場所をさがすつもりです。

 

しかし、公営の図書館は時折異様な匂いが漂ってきてたまにイカ臭いときもあるので敬遠しており、学校の図書館は往復三時間を要する上にその間乗り換えに心を配らなくてはいけないのでどちらも今日の気分ではありません。

 

ということで、近所のコーヒーが出るお店を二時間ずつはしごすると、今日の大まかな計画を立てて坂を上り始めました。

 

私の町には坂が多いのです。

 

 

まずは最寄駅にすぐちかくのドトールへ向かいます。

 

このドトールはビジネスマンが多く、時折仕事の電話や打ち合わせの声などが聞こえてきます。

 

私は275円のやけにローストした豆の味が強いアイスコーヒーを注文して、地下一階の席を陣取りました。

 

岩波文庫の『ツァラトゥストラはこう言った』下巻、七つの封印から読み進めていると隣に勉強熱心なご老人が来られて、何かメモをまとめ始めました。

 

やがて、道程の人々とツァラトゥストラとの対話が盛り上がるのと並行してご老人の筆が一層熱を帯びてきて、メモがマーカーで色鮮やかに装飾されていくのを横目でみていました。

 

私は80歳にも90歳にも見えるご老人が7色ものマーカーを使いこなしていること、マーカーによって彩られたメモがいかにも女子高生然としていることに心を奪われて、いつしか私の憂鬱も吹き飛んでいたことを告白します。

 

おじいさんの色使いはまさに芸術的で、それを見た私の色覚神経が活性化されるのと同時に心が躍るのを自覚しました。

 

きっとおじいさんは魔術師か何かで、人々にああやって幸せを振りまいているのでしょう。

 

おじいさん、ありがとう、ありがとう。

 

すっかり集中力も切れ果てて、ドトールを後にしました。

 

 

 

ドトールでおじいさんの姿に神を見た後(もしくはあれがツァラトゥストラだったのかもしれぬ)、次の喫茶店で腰を落ち着けるべくリトル・マーメイドへ向かっていました。

 

しかし存外混んでいたので、中高生の殿堂、ハンバーガーショップの皮を厚く被ったスラムともいうべきマクドナルドへやってきました。

 

悪口を言いましたが私はマクドナルドが好きです。

 

ゴミ箱の開閉音がまじでうるさいし、各々無遠慮に発せられる会話は町の喧騒を想起させるけれど、その喧騒が好きです。

 

ついさっきまで二―チェ思想の暴力に晒されていた私を温めてくれる人間臭さを感じます。

 

でもずっと居るのは嫌です。

 

美味しいとも思いません。

 

100円で居れるのはありがたいです。

 

この日は平日にしては特別混んでいて、窓際に一つだけ座席が空いていたのでそこへ座りました。

 

座った席の向かい側、私の視線の先には「une nana cool」という下着ブランドが店を構えていて、そのことが私の心をアツくさせました。

www.une-nana-cool.com

 

思うに男性が女性用の下着を一人で盗み見るのは変態行為として通報されて然るべき危うさがあって、良識に富んだ人であれば決して口にすることはない憧れと背徳を孕んだ禁断の果実であります。

 

私は落としどころとしてエプロン専門店に足を運んだことがありますが、それ以上に、いや、マニアックさを考慮したり色々議論が巻き起こりそうな話題ではあります。

 

どっちがマニアックかはさておき。

 

とにかく、今の私には対岸の下着店はお誂え向きともいうべき変態的立地でした。

 

ニーチェリルケを読んだふりをしながら、その難解な内容に頭を悩ませて空を見る振りをすること、その視線の先には当然下着店のフリフリ下着が陳列するのでありますから、自然に盗み見ることが可能です。

 

そして、その下着を盗み見ている変態的大学生はあろうととか賢者のフリをしているのです。

 

深淵をはるか遠くから覗く者は、その深淵から覗き返されないように巧妙な罠をしかけて安全を確信しているのでした。

 

また、入店した客が下着を物色していることを見ると、その人が持つあらゆる月9的人間ドラマも想起されて、恋愛小説を一瞬のうちに読み切ったような浮遊感に陥るのでありました。

 

ちなみに、私はこの時点でツァラトゥストラも読み切ってはいないし、詩集に思いを馳せることもしていません。

 

 

いまフレッシュネスバーガーで落ち着いてこの日記を書いています。

 

今日読んでいた書籍の内容は短期記憶をすり抜けて、おじいさんと下着との邂逅ばかりが私の心を巡っています。

 

ただ、限りなく私の心は晴れ晴れとしていて、いつの間にか奥歯の痛みもほんのささやかなものになっていました。

 

本を読む、というのはやはりきっかけに過ぎなくて、よりよい人生を手繰り寄せるための道しるべでしょう。

 

気分転換のために現実逃避するなり、生き方の指針にするなり、私のように憂鬱を塗りつぶす頑強な試練とするのも良いと思います。

 

本のお陰で舞い込んだほんの楽しみは些細な憂鬱を取り払って、本日9月15日がとても良い日になったのでした。