お疲れサーマント

黄巾族さん向けに書いています

一月十一日

 日本語で成人とは大人の事であって、大人とは成人した者のことである。

余程、面倒くさい人間に問いかけない限り、これと同じか類する返事が返ってくると思われる。

ちなみに、私も例によって面倒くさい連中の一人であるから、「成人」とは即ち大人であるとは認めたくない。

人に成る、と書いて「成人」。

20歳に満たない人間は人ではなく、化け物か何か得体のしれないものなのだろうか、それがだんだんと人間性を形成していって、社会に適合できる肉体と精神を完成させていくのだろうか。

大人が社会に在る自然状態で、子供は体は小さいが大人と同等に扱われるとはどこの国のの話だっただろうか・・・

 

 しかし今や私も20歳を超え、いまに定職に就こうとしていることは、喜ばしい。

偉い。偉い。昨日も今日もイナズマイレブンを見たが、ノスタルジーに浸る瞬間も、大人を大人たらしめる一要素であると、私は考えている。

 

大人とは何ですか、という問いに対して、私は一つ答えを持ち合わせている。

懐かしさを感じたら大人。

相対的に大人。

社会の尺度に「子供だなあ」と言われたら、それはそれ。

あの日より大人になったので、大人。

 

 

弟が間もなく大学受験をするそうなので、エールを送ることにした。

具体的には、湯島天満宮に祈願をすることになった。

外出の免罪符が、どこからともなく舞い込んできた気がするので、行くことにした。

 

湯島天神は、学問の神として一般に認知される菅原道真を祀っているそうで、合格祈願に訪れる人が多い。

屋台も軒を連ねていたのだが、さすがにそれは自粛しろと思い、手切れ金代わりにイカ焼きを買ってやった。

イカ焼き売りのお姉さんには、私の意図が伝わるようにしっかりと目くばせをしておいたので、恥じ入り店を畳んだであろうことは間違いない。

外出自粛が叫ばれる、昨今の情勢でこの賑やかさに心の晴れるものも少し感じたが、医療従事者はじめに対策のことを考えると難しい。

神様ならどうするだろうか。

少なくとも、私が菅原道真であれば、雷神に成り戻り一帯の屋台を焼き払うだろう。

彼は、一時は悪神として恐れられている時期もあったのだ。鎮魂思想が蔓延し、様々な思想が習合した結果、いまの学問の神という立場に収まったのだが、それについても複雑な心境でいやしないだろうか。

我々が彼の苦悩を忘れ、勝手な合格を願うことは、あまりに現金すぎやしないか。

 

菅原道真の気持ちについて、しばし妄想が高まると、弟にそれを伝えずにはいられなくなり、彼は面倒くさそうに聞いてくれた。

そして、菅原道真はどのような絵馬を書けば、願いを聞き届けてくれるだろうかという疑問について話し合いをした。

議論はそこそこに白熱し、「弟の学問への熱意を前面に押し出すのが良い」との結論に至った。

一字一句を丁寧に書いて絵馬を用意する姿に、弟の成長を感じた。

私はこういう場面でも走り書きをしてしまうので、あらゆる点で精神年齢が低いと言えるかもしれない。

絵馬には、数学を修めるために〇〇大学に行きたい、ゆくゆくは教員になるのも良いかもしれない、という将来への熱意が書いてあった。

吾が弟ながらあまりに感動した。また、他に良い絵馬があれば見たい!という気持ちが家族で一致した。

 

しかし、内輪の盛り上がりなどは社会の流れに逆行するので楽しいのである。

とりあえず隣の絵馬を見てみると、〇〇大学合格!!という横書きの文字が(きっと)志望順に並んでいたので、どうにもガメツイ人が書いたように思ってげんなりしてしまった。

菅原道真もきっとげんなりするんじゃないかなぁ。

これもまた勝手。